石川 幸男 教授

摂南大学 農学部 農業生産学科

ガを交尾に導く 性フェロモンや超音波を逆手に
新たな害虫防除の道を探究

FLOW No.93

石川 幸男
Profile
いしかわ・ゆきお 1977年東京大学農学部農業生物学科卒。1979年同大学院農学系研究科農業生物学専攻修士課程修了。同年同研究科博士課程中途退学。同大助手、ミシガン州立大学客員研究員を経て、1994年東京大学農学部農業生物学科助教授。2010年同大学院農学生命科学研究科教授。2020年から現職。2021年度日本農学賞・読売農学賞受賞。日本応用動物昆虫学会会長、日本昆虫科学連合代表などを歴任した我が国の応用昆虫学の第一人者。東京大学名誉教授。農学博士。東京都出身。

 本年度の日本農学賞・読売農学賞を受賞 

近年、地球温暖化の影響もあり熱帯地域に生息していた害虫が、北方でも越冬できるようになり、日本でも目にするようになってきました。日本は多くの食物を貿易によって海外から仕入れていますが、その際に、本来は日本に存在しない害虫が侵入してしまうといったケースも多く見られます。しかも一部の発展途上国の不適切な農薬使用によって、日本の農薬では駆除できない害虫の出現という深刻な問題も発生しています。そこで、最近では農薬を使用せず昆虫の能力や機能を逆手にとって害虫の防除を行う害虫管理法の開発が求められています。我が国の応用昆虫学の第一人者の石川幸男教授は、昆虫の持つ不思議な能力を分子レベルで解明し、害虫防除に応用する研究を行っています。環境の変化に適応することで、約5億年に及ぶ生存競争を勝ち抜いてきた昆虫を研究し、防除法の開発だけでなく社会への応用を目指します。その研究で本年度の日本農学賞・読売農学賞を受賞した石川教授に、「虫を知り、虫を制する」技術について聞きました。

農薬の過剰・不適切使用がもたらす薬剤耐性

農作物は雑草、害虫、病気による被害で収量が大きく減ります。これらに対する防除策を何も講じないと、半分以下しか収穫できません。食糧確保の観点からは大きな問題です。害虫と闘う大きな武器は農薬ですが、その武器を人類が手に入れたのは第2世界大戦後のことでした。戦中の化学兵器の開発研究がもととなっているのです。そのため農薬は危険とのイメージが長くありましたが、現代の農薬は人の「くすり」並みに安全なものが多くなっています。安全になったはずの農薬が現在でも問題になっているのは、その過剰で不適切な使い方で害虫に薬剤耐性ができてしまうからです。虫がいなくても予防的に過剰にまいてしまうことは、一部の途上国ではいまだに多く見られます。害虫がいる時に、特に虫が出始めた時に適正な量をまくことが最も効果的ですが、そのために害虫の発生予測と正確なモニタリング(監視)が大事です。今や農薬の開発費は巨額なものですが、薬剤耐性が農薬の寿命を縮めるのです。

私はこれまで虫の生態を利用することで農薬を効果的に使用し、あるいは農薬なしで害虫を防除する研究をしてきました。今回お話しするのはその生態の中でも、メスの性フェロモンとオスが発する超音波の研究です。私の主な研究対象はガ類で、その中でもアワノメイガ類です。アジア地域においてはアワノメイガが、ヨーロッパと北アメリカでは近縁種のヨーロッパアワノメイガがトウモロコシの大害虫として知られています。海外ではこれら2種の防除目的で遺伝子組み換えトウモロコシが作付けされていますが、遺伝子組み換えが受け入れられにくい日本では農薬による従来型の防除に依存しているのが現状です。

日本産アワノメイガ類の性フェロモンを同定

私が長年研究してきたのがガ類の性フェロモン交信システムです。夜行性のガ類は視覚による情報収集が困難で、交尾相手との出会いのために、メスが出す性フェロモンを介した交信システムが発達しています。この高度な交信システムを逆手に取れば、ガ類の防除につながります。私は近縁種の性フェロモンを体系的に調べることで、その相違を利用して人為的に種間の生殖隔離を操作できると考えました。

日本に生息しているアワノメイガ類9種の中には専門家でも区別が難しいほど、アワノメイガに似ている種もいるのですが、それぞれの種の幼虫が餌とする寄主植物は大きく異なっています。トウモロコシに被害をもたらすのは国内ではアワノメイガだけです。

この研究を着想した1990年時点では、アワノメイガとヨーロッパアワノメイガの2種の性フェロモンだけは同定されていました。私は日本産アワノメイガ類の採集と飼育の確立から始め、約10年で日本に生息している全ての種の性フェロモンを明らかにしました。下図では、複数のフェロモン成分のおおよその比率を黒丸の大きさで示しています。アワノメイガ類の性フェロモンは、炭素原子が14個直鎖状に連結する化学構造が基本で、EとZは二重結合の幾何異性(原子の立体配置の違い)、11や12は二重結合の位置を示します。この研究で、11番に二重結合を持つのがアワノメイガ類の性フェロモンの基本で、二重結合が唯一12番にあるアワノメイガが例外的存在であることなどが分かりました。

全ての日本産アワノメイガ類の性フェロモン組成を同定した以後は、性フェロモンに種ごとの組成の違いをもたらす分子生物学的基盤に関する研究を進めました。アワノメイガ類の性フェロモンは、生体内に存在する脂肪酸であるパルミチン酸の活性化体に、4種の酵素が作用することで生産されますが、その中でもフェロモンの二重結合の位置を決定する酵素である不飽和化酵素について重要な発見をしました。アワノメイガ類のゲノム上には少なくとも4種の不飽和化酵素の遺伝子が共通して存在し、種ごとにこのうちの一つが選択的に転写されることを見出したのです。この発見は性フェロモン交信系の進化のメカニズムに迫る発見と高く評価されました。

超音波は「恐怖のラブソング」

雌雄間超音波交信の研究は、スウェーデン留学から帰国したばかりの研究室の卒業生、高梨琢磨氏(現在、森林総合研究所)から、ガ類の一部が超音波を出すという話を聞いたのがきっかけでした。さっそく、アワノメイガを超音波検出器(超音波を人の聴こえる音に変換する装置)で調べてみると、メスが出す性フェロモンによって興奮したオスが、一連の求愛行動の途中で超音波を発していることが分かったのです。オスの翅と胸には特殊な鱗粉があり、これを擦り合わせて超音波を発生します。鱗粉を除去して超音波を出せなくすると、オスの交尾率が下がることも分かりました。

さて、コウモリはガ類の天敵です。コウモリは超音波の反響を利用し、夜間でも飛んでいるガの位置を検知し捕食します。そのため一部のガ類は超音波が聞こえる耳を発達させました。自分に超音波が照射されたことを検知すると、ガはフリーズして落下します。この落下でコウモリによる捕食を回避するのです。

オスの超音波とコウモリの超音波を人工的に再生してメスに聞かせ、オスの交尾が成功する割合を調べる実験の結果、アワノメイガのメスはオスの超音波とコウモリの超音波を区別することはできないことが分かりました。つまりオスは超音波を出すことでメスにフリーズ反応を引き起こし、メスを動けなくした隙に交尾するのです。まさに、アワノ メイガのオスの超音波は「恐怖のラブソング」です。

この研究は実際に、ガ類害虫の新規防除法の開発に結びつきました。私の元でガ類の超音波の研究を行った農研機構(国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構)の中野亮氏らが本研究を発展させ、ガ類の行動を効率よく抑える超音波を見出し、超音波発生装置の開発にも成功。この装置で害虫ハスモンヨトウのイチゴ施設内への侵入をほぼ完全に阻止することができたのです。

虫の配偶行動などその精巧な生態を深く知ることで、農薬に頼らず環境に負荷をかけない新たな害虫防除のシーズが見つかったということです。

4月6日に東京大弥生講堂で行われた授賞式。
右は西澤直子・日本農学会会長

日本農学賞・読売農学賞 : 日本農学賞は日本農学会が贈るもので、農学研究者間における最高の栄誉とされる。受賞者は同時に読売農学賞へ推薦される。2021年度の受賞者の1人になった石川教授の業績論文は「害虫防除に向けたガ類の性フェロモンにおける分子基盤研究と新規生殖操作・配偶行動の発見」。4月6日に東京大弥生講堂で両賞の授与式が行われ、石川教授が受賞者講演を行った。

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